霊芝2000年の歴史

中国最古の薬書と言われる「神農本草経」から登場する霊芝。
霊芝に関しては日本よりはるかに長い歴史を持つ中国では、
2000年以上も昔から「万病を治す薬草」として霊芝が珍重されてきました。

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■ 中国古書「武帝記」

霊芝2000年の歴史 「武帝記」の肖像図

<宮中に霊芝が生えると、吉祥として皇帝が大赦を出して、酒や牛を人民に配り、華やかに祝いの宴を催した>

■ 漢方書「本草綱目」 (明の時代 李時珍著)

<久食軽身不老延年神仙>
(久しく食すれば身を軽くして老いず、年を延ばして神仙ならしむ)

万里の長城建設など、栄華を極めた秦の始皇帝は、福・禄・寿のうち長寿を我が物にできず、不老不死の妙薬探しを命じ、その結果登場したのが「霊芝」だったと言われています。

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霊芝は麒麟や龍などと共に、「天子が仁政治を行うとき天から降る」ものと言い伝えられ、珍しいだけでなく、吉兆のしるしとして人々から大いに尊ばれました。

幸福を呼ぶキノコ、厄除けキノコとして、「幸茸」「福茸」「神芝」「吉祥茸」という最高級の呼び名を持ち、他にも「瑞芝」「瑞祥」「神草」「玉来」「不死草」「麒麟」「竜」「鳳凰」「甘露」などといった無上の高貴な名称で扱われてきたのです。

中国最古の薬書である「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」には365種類の薬が掲載されています。

この中に、霊芝は色別に6種類(青・赤・黄・白・黒・紫)が乗っており、それぞれが違った効能を持っているものとして解説されています。

また、この365種類の薬は、大きく3つのカテゴリー(上品、中品、下品)に分類されており、霊芝6種類は、全てこの上品に属しています。

「上品」とは、生命を養い、無毒で、長期服用可能。身体を軽くし、元気を益し、寿命を延ばす薬効があるとされているものです。

この「上品」は現代医学におけるアダプトゲンと非常に酷似しています。アダプトゲンとは、「毒性(副作用)が無い」「特定の臓器や器官に効くものではない」「臓器や気管全体の正常化作用がある」という概念を指します。

このように霊芝が人々に薬として珍重されてから非常に長い年月が経っていますが、その利用方法はほとんど変わっていません。

元々漢方とは、様々な生薬を個人の体質や症状に応じて組み合わせ、そのまま食するというのが一般的です。

「神農本草経」を著した神農皇帝は、あらゆるものを自らの口に入れて薬となるものの発見に努めたと言われています。

コルク状の霊芝はそのまま食べるのはあまり適さないので、粉末状態まで細かくして摂取する方法や、刻んだ霊芝を煎じる(水に入れて沸騰させて煮出す)方法がとられました。今でも中国では細かく刻んだ霊芝を煎じて飲む、という方法が一般的のようです。

中国における長い歴史を持つ霊芝ですが、意外なことに、人工栽培の方法を確立したのは日本の方が先でした。

最初に試みられたのは1930年代後半。京都大学が中心機関となって行われましたが、残念ながらこのときは成功に至っていません。

そして1971年、直井幸雄氏が、種菌をオガくずにポット栽培するという方法で、初めて量産に成功しました。そしてその後、様々な研究者から霊芝人工栽培成功の報告が相次ぎ、1976年頃から全国各地で霊芝の人工栽培が本格的に実施されるようになり、1984年のピーク時にはなんと、年間250トンもの霊芝が生産されたそうです。現在は、ナラ・クヌギ・クリ・ウメ、などの原木を用いる榾木(ほだぎ)方法による露地栽培、あるいはハウス栽培が実用化されており、それが主流になりました。また、時を同じくして中国、台湾、韓国などへも人工栽培の方法が伝わり、徐々に人工栽培が盛んになっていきました。

霊芝2000年の歴史 霊芝の人工栽培の写真

霊芝の人工栽培